東京国際映画祭 「日本映画・ある視点部門」 『早咲きの花』

 正直、徳山秀典さん・北条隆博さんが出ておられるというので見に行きました。

 が、映画自体とても印象深かったので、独立カテゴリーとして書かせて頂きます(^^)。

 とても、いい映画でした。是非、多くの方(特に若い世代;)に見に行って欲しいなと思いました。

 声高な反戦映画ではなく、映画としても楽しく、そして泣ける上質な仕上がりになっていたと思います。


 見に行ったのは10月22日

 舞台挨拶→本編上映→ティーチイン(質疑応答みたいなもの)という流れでした。

 という訳で、以下ネタバレを含んでいます。

 気になるという方はご遠慮下さい。ついでに、長くなりました。その点もご留意下さい(^^;)。


 映画祭なるものに行ったのは初めてでした(そして、会場の六本木ヒルズも数える程しか行った事がありません;)。

 ポスターが張ってあり、係員も立っていたりしましたが、それほど「お祭り」って感じではないな〜と会場に入るまでは思ってました。

 が、注意事項が英語訳付きだったので、俄然「国際映画祭」なんだと実感しました(笑)。

 以下、メモ等は取っておらず、記憶力のみで書いておりますので、その点ご了解下さい(^^;)。

 最初の舞台挨拶。

 参加者は登場順に吉村龍太さん(音楽)、加藤未央さん、徳山秀典さん、鈴木駿君、菅原浩志監督の5人でした。

 「一言ずつ」という司会者さんの言葉だったのですが(時間も15分でしたし、最初からその予定だったんだと思います)最初の吉村さんを始め、結構長く話されて(^^;)、司会者さんの顔が引き攣っていたのが印象的でし(こら;)。

 ちなみに、全てに英訳付き。当然、その場での同時通訳ですから大変ですねぇ〜。聞いてる方はおもしろかったですけど。

 この映画は実話を元にしているのですが、吉村さんはお祖父さんから聞いていた話が映画になって、多くの人に知られるようになって感慨深いと仰ってました。
 とてもステキな方だなぁと思ったのですが、作曲だけではなく、アーティストとしてもご活躍中なのですね(浅学で、すみません!)。激しく納得。
吉村龍太オフィシャルサイト

 加藤未央さんのご挨拶は舞台挨拶らしいシンプルなものでした。 とても綺麗な女優さんでしたが、東京農大の学生さんなんですね。とてもビックリ;

 徳山秀典さん。少し長く話されて、司会者さんが(以下略。笑)。
 この映画での先生という役どころなどなど。

 鈴木駿君
 先日、初めてコンサートに行き、とても感動した事。それと同じような感動がこの映画では味わえると思います。という、とても立派なものでした。
 蛇足ですが、映画の丸坊主とは違って、髪も伸びていたし、体付きもしっかりしたものになっていたし、かなり印象が違いました。リンクに張った事務所公式プロフィールの写真とも違うし。成長期って凄いなと思いました(^^;)。

 と、ここまでで、かなり予定時間をオーバーしていたので(^^;)、司会者さんから菅原監督には「一言で」と再度の念押し(笑)。
 菅原監督、まず「一言という事なので」と。とてもユーモアがあり、話術にも長けていて、素晴らしい方でした。
 「映画を見る前に監督があれこれ言うのはよくないので、とにかく見て下さい」とだけ。それだけ作品に自信があるって事でもあるんですよね。ステキでした。

 15分の予定が、かなり長くなったように思います(始まりも10分くらい遅れたように思いますが)。

 この後、本編上映。

 監督始め皆さんも最後列で一緒に見ておられました。

 普通の舞台挨拶だと、掛け持ちが多いからあんまりない事ですよね。これも映画祭特有なのかな? でも、小さい映画館とかだと、わりとある気もしますが(何度か、そういう事ありました)。

 本編。

 ピンホールカメラマンのシュナイダー植松三奈子(浅丘ルリ子)が失明に至る病気にかかってしまい、その前にもう一度故郷を見たい、撮りたいと思って、豊橋を訪ねる所から始まります。

 61年前。戦争中ではあったけど、三奈子(傘菜月)と兄・真次(鈴木駿)は仲間達と楽しい国民学校生活を送っていました(この学校生活が結構メインでした)。

 けれど、戦争の影が濃くなっていって、担任の前田先生(徳山秀典)が入営し、真次達も学徒動員で工場へ働きに行き、そこで大空襲に遭って、ほぼ全員が亡くなってしまうのでした。

 この過去の話に現代の三奈子が偶然知り合った二人の高校生、水谷行彦(北条隆博)、守屋小枝子(加藤未央)の話が織り込まれます。

 次の世代に自分達の体験を若い二人に告げる事が出来た三奈子。
 熱血だけど空回りしていた小枝子は少し回りを見る余裕が出来たような。
 何事にも消極的だった行彦は小枝子と共に何かしなくてはと思い、行動し始める。

 反戦映画ではありましたが、声高ではなく、私にはとても良質に思えました。

 ティーチ・イン。

 どんなものかなと思ってましたが、質疑応答みたいな感じでしたね。
 勿論、全部英訳付き(^^;)。

 最初は司会者さんから監督へ。この映画はどういう経緯で作られる事になったのかとか、そういう感じの質問でした(はっきり覚えてなくて申し訳ありません〜)。

 原作者の宗田理さんとは監督デビュー以来のお付き合いで、2年くらい前に山口で現地密着型の映画を作った時、今度は宗田さんの故郷の豊橋を舞台にした映画を作ろうという事になって。
 最初はこういう話を作る予定ではなかったけど、宗田さんの体験談を聞いて、どうしてもこの題材で作りたくなったのだそうです。

 客席からの質問。

 「映画の中で前田先生と真次君は豊橋の方言で喋っているけど、どうでしたか?」
 鈴木駿君も、徳山秀典さんも「苦労した」そうです。特に、徳山さんは長台詞でもあり、印象的なシーンでもある、星の授業のシーンが一番大変だったそうです。

 「子供達が本当に昔の子供みたいに見えましたが、どういう風に選んだのですか?」
 これは年配の方(だと思います。私の位置からは、はっきり見えなかったのですが、ご自分でそう言っておられたので)から監督への質問でした。
 監督の答え。
 「まずは三河弁を喋られるという事を第一条件にして、愛知県内でオーディションをしました」「それから、絶対条件だったのが、髪を切る事。男の子は丸刈り。女の子は刈り上げでおかっぱ。サザエさんのカツオとワカメになって貰う事でした。なので、イメージにピッタリでも髪が切れないという女の子には遠慮して貰いました。また、一度も髪を切った事のない女の子が髪を切ってくれたりもしました」「そうやって集めたんですが、昔の子とは腰の位置が違いましたね。高いんですよ、今の子は。それと、並んで行進が出来なかったです」との事。
 確かに、今風の子供ではなく、昔の子供に見えましたよ。でも、行進が出来ないとは。イロイロあるんですねぇ。ふむ。

 司会者さんから加藤さんへ、浅丘ルリ子さんという大女優さんと演技を一緒していかがでしたか?」
 この質問には加藤さん、考え込みつつ、丁寧に「もう本当に大女優さんで。間とか、表現方法とか、私がこの先女優として演技していく上で、とっても貴重な体験になりました」と答えてました。

 最後の客席からの質問は外国の方からで英語でした。
 質問は二つで、監督へで「どんなメッセージが一番表現したかったのか」で、もう一つは若い出演者さんへ、「この映画に出てから、戦争に対する考えなどは変わったのか」でした。
 監督の答えは「今というのは過去があって成り立っている。豊橋の空襲は広島と長崎の原爆という大事件に挟まれて(8月7日の出来事でした)軍部によって隠されてしまったけれど、こういう事があったからこそ、今の平和な世界があるのだという事を現したかった」というものでした。
 若い出演者さんへの質問だったので、一番若い鈴木君が答えました。
 まずは「戦争中って、もっと苦しいと思ってたけど、結構楽しかったです」と。これは意味の深い答えだなあと思いました。確かに映画前半の子供達はとても生き生きしていました。だからこそ、学徒動員で戦争に巻き込まれてるのが悲劇的だったのだなと。
 そして、映画の中で溺れさせられるシーンがあったのですが、鈴木君自体は水泳大得意だったので、全く問題なかったそうです(ほっ)。そして、「戦争はとてもいけない事だと思いました」と。

 本当に覚えている範囲で書いたので、ぼろぼろ抜けていると思います。すみません。

 12月26日から1月8日までは東京(ル・テアトル銀座)でも公開されるそうなので、是非多くの方にご覧になって頂きたいと思います。

 蛇足ですが、Web上での感想で「最後のええじゃないかのシーンの意味がわからない」という趣旨のものを見ましたが、私は「ええじゃないか」が豊橋発祥とかいう背景を知らなかったので、普通に二人の高校生がやる気を出して、学祭を盛り上げたとしか思いませんでした。地元の方の方が思い入れが強くて辛口になるのかもしれませんね。