少し前から考えていたのですが、山口の母子殺人事件とか広島の女児殺人事件とかの裁判の報道を見ながら。

(どちらもご遺族が実名報道を希望されておりますが、個別の事件に対する意見ではないし、そもそもブログは報道ではないですから、こういう形で)


 ニュース番組でもコメンテーターという名の人達がコメントを出してますが、その中で所謂『専門家』という人達の意見については違和感を覚える方が多いのではないかと思います。

 勿論、感じ方は千差万別ですし、法律の専門家であっても、街角インタビューと同じ趣旨を答える方はおられます(別に、どちらが悪いとか正しいとか言ってませんよ、念の為)。

 でも、概ね『専門家』の意見は一般の感情からすると乖離しているように感じられると思うんですよ。

 例えば、広島の事件の際に「厳罰化の流れだけが進むのは恐ろしい」「アメリカでは厳罰主義で臨んでも犯罪は減っていない」と付け加えられた方がいました。

 その前に「必ずしも厳罰を否定はしないけれど、厳罰主義の声ばかりが大きくなるのも、おかしい」とも言っておられました。

 これって、ああ、法律を学んだ人なんだろうなって意見でした。

 というのも、私も大学で学んだ訳なんですが、私が通ったヘッポコ大学でも、法律を学ぶ者は基本として「個々を見るのではなく、理論として正しいものの考え方をしろ」という考え方を教えられるんですよ。

 だから、死刑についても、「どんな事件でも人間が裁く以上、誤審は必ずある。だから、死刑は避けるべきだ」と(私は)教えられました。

 この考え方は基本として、また正論として、あるべき姿だと私は思っています。

 確かに冤罪は常に可能性ゼロじゃないし、人が裁く以上間違いもある。

 その時、死刑が執行されてしまえば取り返しがつかないけれど、犯人とされた人が生きていれば、まだ取り返しようはある(これはこれで大問題を孕んでいるのですが、それは割愛)。

 だから、原則死刑は廃止、と。

 私もこの考え方には賛成しました。確かに冤罪ってあるしなーと。

 けれど、現実には、この犯人は死刑にだろうと思う事件は多々あります。悲しい話ですが。

 それでも、私がそう躊躇いなく考えられるようになったのは、大学卒業後かなり経ってからでした。

 現在、私は法律の執行とか報道などとは全く関係ない立場です。

 それでも、叩き込まれた基本はなかなか拭えない。

 まして、一流と言われる大学で法律を学び、日々法律に携わっておられる方は尚更その考えは変えられないでしょう。

 それは信念でもありますし。

 その辺りの乖離が今の裁判への批判に繋がっている気がします。

 その為に山口や広島の事件のご遺族が苦しみながら訴えざるを得ない状況を作り出している。

 そんな気がします。

 ・・・・・・かなり考えて、まとめたつもりでしたが、まだまだだったようです;

 むずかしい問題です。