百鬼夜行抄

[rakuten:book:11795481:image:small] 微妙に「2007年1月期ドラマ」とは言い難いのですが(^^;)まあ、このカテゴリーで(この辺りの事情について知りたい方は『ジロッカーの世界征服計画/2007年03月24日百鬼夜行抄 第八抄『南の風』 』をご覧下さい。まあ内情がどうであれ、こちら側の人間としては放映された物が全てなんですけどね)。
 『しにがみのバラッド』同様、原作が漫画作品の実写ドラマ化作品です。
 で、『百鬼夜行抄』の最終回を見ていて、ちょっと重なって考えた事があります。
 脚本家さんがご自分のブログ、『ジロッカーの世界征服計画/2007年03月31日百鬼夜行抄 第九抄『運命の壺』 』で書かれているように、やはり最終回というのは盛り上げて終わらないとならない訳です。
 で、原作が続いている番組の場合、勝手にピリオドを打つ訳にはもいかない。
 ある意味二重の制約がかかっていると思います(まあ、原作者に断るなり何なりして、勝手にピリオドを打つというのも一つの手だと思いますけど)。
 で、『百鬼夜行抄』の場合は最終回の盛り上げの為に、初回から原作にはなかった「18才になるまでは青嵐は律を守るけれど、18才になった後は自由にしていい」という設定を付け加え、再三、青嵐に「お前を喰う」と言わせた訳です。
 これで視聴者としては「最終回で本当に律は食べられてしまうのか」・・・・・はあんまり思わなくても(おーい;<いや、でも、ねぇ?)どのようにして、それを回避して話をまとめるかに興味を持たされます。
 結果としては、最終回で律が青嵐を壷の封印から解いて助けた為、「今は食べるのを止めてやる」となった訳です。これは、なかなか美味いまとめ方だな〜と思いました(蝸牛はこの展開を見越していたんだろうなと思わせるエピソードも途中ありましたし<勝手に深読みしただけですけど)。
 同時に『しにがみのバラッド』を思い出し、あれはあれで、終わり方としてはアリだったと思うのですが、終わり方が弱かったとは今でも思っています。という事は、あの流れでは、あの終わりでよかったのだけれど、もっと違う流れを作り、もっと納得のいく終わり方というのもあった筈なのです。或いは、あの流れで別の終わり方も(それが、どういうものかと聞かれても困るんですけどね。まあ、ありそうなのはモモは死に、代わりにダニエルが死神になって心を持つとか?<使い魔が死神になれるのかという疑問はありますけど)。
 原作(小説・漫画等)から映像化(アニメ・実写等)というのは、大抵劣化してしまうものだと思っています(『百鬼夜行抄』に関しては原作を知らないので、レベル高かったなと思ったままでいられています)。
 それは、それぞれの脳内に「自分だけの作品」があるからだと思っていたのですが、最終回というハードルがあるが故の制約というのもあったのだなと今回気付きました。
 ・・・・・今まで数え切れない程「映像化作品」を見てきたのに今更過ぎる発見ですけどね(^^;)。